お元気さまです。わくワークの義(ヨシ)です。
青年海外協力隊への参加がなかったら、公務員を辞める選択肢を考えなかったように思います。
3ヶ月間の国内訓練の後、2年間の派遣でした。
現職参加という制度があり、日本に残る家族の生活は経済的に困ることはありませんでした。
派遣先では、異文化に触れ、考え方の違いを理解し、臨機応変に対応することが望まれます。
派遣先は、国立の高校でした。校長は選挙で選ばれた女性でした。
まず驚いたのは、入学式にあたる儀式が屋外で行われ、街のイベントのような演出が続きます。すべて生徒が企画しているのです。
職員室は、大きなテーブルが2つ置かれた大きな部屋でした。個人の席はありません。授業の前後に出席簿に出欠を記入したり、定期試験の成績を記入するときだけ、空いている席に座り作業します。当然、私物は一切ありませんでした。
2つの学校が1つの校舎を利用しているので、午前授業の月と午後授業の月が交互にくるので、変則勤務です。午前授業の時は、朝6時から12時まで、午後授業の時は、13時から19時という具合でした。
午前授業のときは、仕事後のランチでビールが楽しみのひとつでした。
停電や断水は日常的に起きるので、あまり驚きませんが、冬の寒い時期、シャンプーを流す前に停電が起きて冷水シャワーになったときは飛び上がるほど驚きました。
2年間過ごし、日常生活や旅行には困らない語学を身につけることができました。
完全な移住は難しいけれど多拠点生活のひとつの拠点としては有力候補です。
その国は、ブルガリア共和国です。
当時は、日本との賃金差が20倍以上あったので、日本で貯めたお金をある程度持っていけば、銀行預金利息だけで生活できたのです。
実際、そのようにしているリタイヤ組がいました。銀行の金利が7%あったので、1000万円あれば、70万円の利息です。1年間の生活費は、35万円ぐらいだったので、貯金が減らないどころか増える状態でした。
現在はもっと高くなったと思いますが、ギリシアまでバスは3000円ぐらいでした。
帰国後、ソフトウェア会社へのお誘いがあり、その話に乗れば、またブルガリア行き決定でしたが、その時は決断できず公務員を続けました。
最近は、日本の物価が一番安いような傾向があり、海外に行くと高く感じるそうなので、目論見が外れつつありますが、まだ日本より安く暮らせるところがあれば、行ってみたいと思っています。
それでは、今日もワクワクな一日を!
チャオチャオ!
今週のお題「人生変わった瞬間」